昨日は集中して読書をした。
1日ほとんど仕事場にこもり、人と会うこともなく、ただ本と向かい合っていたのである。
夜中にはドッグヴィルという映画を観た。
主演はニコール・キッドマンだ。
とにかく美しかった。
この映画は最初から?全開で始まり、全く愉快になることもないのである。
どちらかというと『不快感』や『絶望寄り』になる内容である。
人間の醜さを見せつけてくれる。
こういうの全く受け付けない人もいるだろう。
でも生きていくうえで建前だけではやっていけない。
この映画を観た後に感じたことは、少なからず自分の中にもそういう部分があるというだ。
一生隠していたい闇の部分。
不快な映画を観ることで、抉り出されてくる。
じっくり向かい合う機会になる。
落ち込んでるときや悲しいとき、元気になる映画や音楽を聴きたいと思う人もいるとおもう。
それで元気になるならそれでよいと思う。
物にはタイミングというものがある。
たとえば大失恋したとき。
直後に、Jポップなどでありがちなアゲアゲソングを聴いて元気になるのだろうか。
テレビでもよく夢をありがとうだとか、絆だとか言ってるのをみかけると、なんだかなあってなる。
お涙頂戴的な場面から、おちゃらけたCM場面に切り変わったときぼくはとまどう。
気持ちをすぐに切り替えることができずにもやもやしてくる。
切り替え上手な人がうらやましい。
ぼくは逆なのである。
落ち込んでいるからこそ落ち込む映画や漫画、小説を読む。
落ち込むまで落ち込ませる。
あとは上がるだけだ。
漫画だったらベルセルクの12巻、13巻を読む。
絶望の書はぼくを真ん中に戻してくれる。
動画だったら弱肉強食の世界観に触れる。
サバンナで容赦なく、なすすべなく、草食動物が肉食動物の餌食になっている。
たまに窮鼠猫を噛むように草食動物が反撃、撃退する。
子供を守るためにまさに死に物狂いで戦っている。
目をそむけたくなるような残酷な場面ばかりである。
でも、こんな世界で生き残りをかけて戦っているのを見て、自分の置かれている境遇などはなくそのようなものだと再確認して、前へ進むのである。